「いい大学を出てるからといって頭がいいというわけではない」
「世界の名作古典を読んでるからと言って頭がいいというわけではない」
……とは私も思っていますし、多分これを読んでいる全ての人が同じことを感じ、日々「『本物』を見極めるようにしよう」と心がけて生活しているかと思います。
それでも大学や読書歴で他人の目の色が変わった瞬間を、これまでに私は何度も見てきました。
外国人に日本の大学名を言っても意味がない

私が卒業した大学は、就活の時にはそれなりの扱いをしてもらえる大学ではあるものの、ものすごく頭がいいわけではなく、「そこそこ頭がいい」くらいの大学でした。
大学生の頃、北京の大学に語学留学をした時のこと。
私のような語学留学生はともかくその大学は中国国内でも有名な大学で、現地の学生は私など比べ物にならないほど優秀な人たちばかりでした。
そんな現地の大学生と交流していた時のこと。
「彼(私と同じ日本からの語学留学生)は東京の大学からきたんだよ」
と言ったところ、
「東京大学?!」
と驚かれました。
その「彼」はあくまでも「東京の大学生」で私と同様彼女たちに大学名を言っても「ちょっと知らない……」という反応しか得られない大学生だったので、もちろんすぐに訂正しましたが、この時、
「やっぱり東京大学ってすごいんだな……」
と思いました。
恐らく彼女たちだけでなく、他の外国人も私の出身校の名前を聞いても「ちょっと知らない……」という反応しか得られません。
「大学出てるの?!すごい!」
という反応が得られるのは学校教育が充実していない国くらいです。
「そういう本読んでてすごいね」

大学はさておき、私は読書が好きです。
そして「世界の名作」と呼ばれる小説をいくつか読んだことがあります。
具体的には、
- レ・ミゼラブル
- 風と共に去りぬ
- 罪と罰
- ガリヴァー旅行記
- 自省録
- フランケンシュタイン
などなど。
日本人相手にこういう小説を「読んだことがある」と言うと、
「へぇ、そういう本読んでてすごいね。私読んだことないけど」
といった反応をされます。
そしてそこから先に話が続かない。
私がそれらの本を読んで何を感じたかなどには全く興味を持たれず、ただ「読んだことがすごい」で終わってしまう。
恐らくこれは日本人だけでなく外国人でも同じことです。
読書歴も学歴も滲み出るもの

「論語読みの論語知らず」
という言葉があります。
意味は、
書物に書いてあることを知識として理解するだけで、それを生かして実行できない人をあざけっていう。
https://dictionary.goo.ne.jp/word/論語読みの論語知らず/
「学歴だけで中身が伴ってない人のは恥ずかしい」
「難しい本を読んでますアピールイタい」
など、誰もが日々思っていることを表した言葉です。
本来学歴も読書歴もひけらかすものではなく、その人の奥底から滲み出るもの。
そのため積極的に語るのは控えた方がいいのは確かです。
時と場合によって

ただ、それでも時と場合によっては「私は頭がいいんだぞ」とアピールした方がいいこともあります。
学歴にしろ読書歴にしろ、自分の大切な経歴であり、自分の一部分であることには変わりはありません。
メイクやアクセサリーと同様、品よく使うべきものです。
学歴は自分の知的レベルを示す指標になる場合もやはりあります。
そして読書歴もまた同様。
あらゆる権威に言えることですが、安易に背を向けるのではなく必要に応じて使い分けることは自分に具体的な利益をもたらすだけでなく、自分自身を受け入れることにもつながります。
ですから時と場合によっては学歴も読書歴も使うべきものです。
外国人相手なら読書歴

日本人相手なら大学名でも大丈夫かもしれませんが、上記の通り世界レベルで有名な大学でなければ外国人には通用しません。
そのため外国人相手に自分の知的レベルをアピールする必要がある場合は、大学名よりも「世界の名作」の方が通用する可能性があります。
会話の中でさりげなく「『世界の名作』を読んだことがある」とタイトルを口にしただけで、
「こいつ、意外と頭がいいな……」
と思わせることができるかもしれません。
まとめ
繰り返しますが、私自身学歴や読書歴で自分の知的レベルを表現できるとは思っていません。
しかしこれまでにこれらによって他人の目の色が変わった瞬間を何度も見、そのためにめんどくさいこともあればいいこともたくさんありました。
こうした経験から、学歴だけでなくあらゆる権威、そして読書歴はうまく使うことで人とうまく付き合えることも学びました。
日本の大学をほとんど知らない外国人を相手にする場合は、学歴よりも読書歴の方が有効なのかも……と思います。