ストレッチと読書は似ているような気がします。
じっくりストレッチ

「忙殺されてるな……」
ここ数ヶ月、そんなことを感じる瞬間が何度かありました。
そういう時は実際忙「殺」されていて、鏡を見ればそこには冴えない表情を浮かべた自分がいる……という有様です。
具体的な体調不良は特にないものの、体がなんとなく重たく感じてしまう。
腕を高くあげ、そのまま空から吊るされているかのように背伸びをすると、背筋や肩から「ぴしぴしっ」とかすかな音が聞こえてきます。
まるで氷が割れるかのようなその音が聞こえる箇所は、忙殺される中で動かされることが減った、実際に凝り固まっていた箇所。
あえてスケジュールを調整して時間を作り、かすかな「ぴしぴしっ」という音に耳を澄ませながらじっくりとストレッチをすると、自分の体そのものの存在を実感しました。
じっくり読書

私にとって読書は娯楽の一つ。
忙殺されてストレッチをする時間すらない状況では、当然読書及びその他の娯楽の時間も減ります。
先日久しぶりに時間をたっぷりとって読書を楽しみました。
この世に存在しない架空の人物である彼らは、こちらが好こうが嫌おうが関係ない世界を生きています。
だからこそ、私は登場人物たちに対して容赦なく、ある時は尊敬の念を抱き、ある時は軽蔑できる。
彼らを通して自分の中に湧き上がるあらゆる感情の変化を味わっていると、
「ああ、私はこういうことに共感し、こういうことに反感を抱く人間なんだな」
と逆に自分の価値観が見えてくるようです。
自分自身を感じる時間の大切さ

誰かのために何かを生み出そうとする時間ではなく、自分の心や体の中の様子を探るための時間。
忙しいこと自体は決して嫌ではありません。
でも、忙殺されてはいけない。
忙殺されると自分自身の存在を本当に見失ってしまう。
読書だけでなく音楽や映画、絵画、写真なども自分自身を味わうのに便利な娯楽です。
スマホで手軽に楽しめるものもたくさんあります。
しっかり時間をとらなくても、ほんの少し体を伸ばすだけでも十分。
1ページだけ読めれば十分。
仕事や家事・育児で忙しくできることに感謝しているからこそ、そんな軽い気持ちでバランスをとっていきたいものです。