「自分らしい生き方」は「自分が好きな自分になる時間」の積み重ねによって実現するものなのだから、「かっこいいワタシ」に酔うことはとても大事なこと。

「コーヒー飲みながら仕事してる私」

今からもう10年近く前、まだ会社員だった頃のこと。

「こんな会社辞めてやる!もっと自分らしい生き方をするんだ!!」

と帰り道の車の中で叫んだことがありました。

その時頭に浮かんだのが「浜辺であぐらをかいてパソコン作業している人」と「コーヒーを側にパソコン作業をしている人」の画像。

その1年後に私は本当に会社を辞め、執筆業を始めました。

始めた当初から今に至るまで「旅先で仕事をしている私」「カフェでコーヒーを側に仕事をしている私」になっている時は仕事の内容にかかわらず、

「私、ちょっとかっこよくね?」

なんて自意識が心地よくくすぐられます。

「こいつなんだかいけ好かねぇ……」

ただ、こうして仕事をしている中で、

「薄っぺらい」
「ちやほやされたいだけでしょ」
「逆にかっこわるい」

といった批判をされたことがないわけでは決してありません。

そして私自身も同じように「コーヒーを側に仕事をしている人」を見て、

「なんかこいついけ好かねぇ……」

と感じたこともあります。

自分も含め、ぱっと見は同じようにやっている人であるはずなのになんだかいけ好かないやつがいるのは確かです。

この「いけ好かねぇ」という感覚はなぜ湧いてくるのか。

その原因は本人から滲み出る後ろめたさのような気がします。

「コーヒーを側に仕事をしてる、なんか洒落乙な雰囲気のワタシ……(このコーヒーや仕事がない私には価値がない)」

この(このコーヒーや仕事がない私には価値がない)の部分が「いけ好かねぇ」の原因ではないでしょうか。

健全に自分に酔う

もちろん「これをしているワタシかっこいい(これをしていない私には価値がない)」というのはカッコ悪いだけでなく自分の精神衛生上よろしくありません。

これでは「ゲロまみれになって自分も周りにも迷惑をかけている酔っ払い」になってしまいます。

それでも酒は百薬の長とも言います。

自分にとって程よい酔い方を嗜めるようになるのが大人です。

ワーケーションやコーヒーがなくても私には価値がある。

そういう精神状態でコーヒーを側に仕事をしている時こそ、

「私、今マジでかっこいい」

とニヤニヤできます。

「かっこいい自分になりたい」を許すことの重要性

とはいっても一朝一夕で「マジでかっこいい私」を満喫できるようになるわけではありません。

自分なりの酔い方は、時には失敗し、それこそ他人に迷惑をかけ、「薄っぺらい」と笑われながら見つけていくもの。

「カッコいいワタシ」は「自分がなりたい姿」でもあり、そんな自分を葛藤しながらも無理矢理演じる時間は「自分が好きな自分になるための練習時間」でもあります。

そんな時間に価値がないわけがありません!!!

むしろ「〇〇をしているカッコいい私になりたい」という自分の欲を許し、受け入れないということは、逆に「〇〇をしていない私には価値がない」という思考を助長させます。

そのため結果として他人も自分も不幸にする。

酔いを楽しめるようになった先にある幸せ

お酒のように、自分にとって最適な嗜み方を知ることは自分自身のことを知ることでもあり、他者との関わり方を知ることでもあります。

もちろん他人に迷惑をかけないよう配慮はしなければなりませんが、それでも「カッコいいワタシ」に酔い、それを嗜めるようになり、「マジでカッコいい私」になることは、自分自身を受け入れることでもあります。

そして例え自分自身を受け入れる過程で他人に迷惑をかけても、それでも側にいてくれる他人は本当に自分を愛してくれている人でもあります。

お酒と同じで失敗を繰り返してこそ自分にとって最適なやり方が分かってくるもの。

「今からカッコいいワタシになるぞ!」

いっそのことこう開き直り、試行錯誤していけば、いずれ「カッコいい私」になれます。

まとめ

ちなみに私はお酒はほとんど飲めません。

自分がほとんど飲めないということに気づいたのは22歳ごろのことでした。

大学を卒業する頃の飲み会では私がジョッキを手にすればすかさず横から誰かの手が伸びて没収されるようになりました。

身に覚えはある。

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