薬局でお手頃価格で買えるものもあれば高級百貨店でぱっと見ただけでは桁が把握できないようなものなど、基礎化粧品の値段には非常に大きな幅があります。
「安い基礎化粧品には体に悪いものがたくさん入ってる」
「高い基礎化粧品には相応の効果がある」
ついついそう考えてしまいがちですが、実際にはどうなのでしょうか?
「高い基礎化粧品はいいもの」?

ぱっと見た瞬間に桁を見間違えるほど高価な基礎化粧品を前にすると、
「本当に効果があるのかな?」
と私も疑ってしまいます。
あくまでも噂ですが「値段にかかわらず基礎化粧品の中身はほとんど水。高価なものも安いものも中身はほとんど水」らしい。
また、高価とまでは言わないものの中堅価格の基礎化粧品の宣伝文句では、
「安い基礎化粧品には添加物や化学物質など体に悪いものがたくさん入っている」
といったものがよく使われているような気がします。
化学の知識が全くない私は商品の値段が高かろうが安かろうが、成分表のカタカナを見たところで何がよくて何が悪いのかなんて分かりません。
基礎化粧品のことで私でもはっきりと分かるのは、その商品の商品名と値段と、自分の財布の中身だけです。
実は無意識のうちに値段に縛られている

コットンがひたひたになる程度
500円玉大
パール粒大
などなど。
各商品には毎回の適量が記されています。
コットンがひたひたになる程度や500円玉大ならまだ分かる。
でも、パール粒大とはどれくらいか。
イヤリングかネックレスかでも真珠の大きさは全く違う。
「100万円の真珠のネックレス」となればもしかしたら私のゲンコツくらいの大きさがあるかもしれない。
だから「100万円の真珠のネックレス」を身につけるような大金持ちマダムは私のゲンコツ大の基礎化粧品を毎回使っているのだろうか。
……
基本的にどの商品にも「適量」が記されてはいますが、実際のところはっきりとした具体的な適量はよく分かりません。
そうなると例え「適量」が定められていたとしても毎回「適当」に手にとって使うしかありません。
私は「適量」を「適当」に手にとる際、なんとなくその商品の購入価格を考えてしまうことがあります。
「これ高かったんだよね」
「これ安かったんだよね」
その値段の記憶は「適当」にとった「適量」に影響を及ぼしているのではないでしょうか。
そして例え使う時に今日の晩御飯のことを考えていたとしても、「適当」に手にとった量は値段の記憶に影響を受けた量なのではないでしょうか……?
「質より量」or「量より質」

私は「質より量」を重んじるタイプで、基本的には、
「ぐだぐだ言ってないでとにかく量をこなせ!量は質を凌駕する!」
という態度でものごとにあたっています。
ただ、だからといって質を軽んじるのは間違っているとも思っていて、定期的に質について考える時間も設けています。
確かに量は質を凌駕するのかもしれません。
しかし、量は質についてのあれこれをごまかすこともある。
理想的なのは、
「(時間やお金に関係なく)自分はこれだけやった!」
と自分で言い切ること。
「これだけの時間やったから」
「これだけのお金をかけたから」
というのは自分軸ではなく自分以外のものによって自信を得ようとする発想です。
毎日続けることだからこそ

スキンケアは一発できれいになるためにするものではなく、毎日こつこつ続けることできれいになっていく自分を楽しむためにするものです。
私には「値段が高いからといって効果があるわけじゃない!」と断言するほどの経験もありません。
けれども「自分の気分がアガるスキンケアを重視すべきだ」とは断言できます。
スキンケアは鏡を見て行うものだからこそ自分の価値観にあったものを使うのが一番重要になってきます。
鏡に映った自分に、
「こんな安っちぃ化粧品こそが私にはふさわしいんだ」
「高価なものを使っているから私はきれいなんだ(高価なものを使っていなければ私はダメなんだ)」
と言いながら使うようなものは選んではいけません。
自分が心地よく使えるものを選んで使うことが、一番自分を美しくします。
まとめ
毎日鏡の前で、
高価な基礎化粧品をケチケチ使い続けるよりも心置きなく使える低価格のものを使った方が、
「安かろう悪かろう」と思いながら安いものを使い続けるよりも(自分の収支をいろいろ整理しながら)多少背伸びをした価格帯の化粧品を使った方が、
本当の美しさを作ります。