「開運!なんでも鑑定団」を見ていると、
「『なじみの骨董商』が勧めてくるものと、『そういえばそんなやついたわ』ってレベルの同級生がコメダで話す儲かる話って同じくらい怪しくない?」
と思うことがあります。
「挑戦したいけど怖くてできない」は当たり前

「挑戦したい『何か』がある」
「誰になんと言われようとも手に入れたいものがある」
「自分らしい幸せを実現したい」
「でも、怖くてできない」
という人はとても多いです。
むしろ私は欲しいもの・実現させたいことがあっても二の足を踏んでしまう人の方がよっぽど普通で、「恐れるものは何もない!」と言い切って突き進んでいる人の方がよっぽど異常だとさえ思っています。
「本気で望むのであれば恐れてはいけない」
それは相手がこれまでに何を積み上げ何を目指しているのかにも全く興味のない、他人が他人に向けて言うことです。
あるいは自分とはレベルの違うところしか目指したことのない、ほんのわずかな勇気で事足りるようなことしかしてこなかった人か。
格言(的なもの)とは所詮その程度のもの。
格言(的なもの)は行間を埋めてなんぼ。
そして行間を埋めるには相応の知識と経験が必要になってきます。
怖くて身動きがとれない人は決して臆病なのではなく、責任感もあり、これまでの経験でたくさんのことを学んできた人です。
だからこそ、何かに挑戦したいという人はあと一歩を踏み出すための勇気を切望してしまいます。
なんでも鑑定団に登場する「なじみの骨董商」

長寿番組として有名な「開運!なんでも鑑定団」で、
「なじみの骨董商が『いいものがあるんですよ』ってささやいたものだからその場で100万円で買っちゃいました。……本人評価額は200万円!……さぁ!オープンザプライス!イチ!ジュウ!ヒャク!1000円!」
という流れを何度も見たことがある人も多いのではないでしょうか?
骨董趣味は当然お金を使います。
さらにお金を使ったところでそれが偽物・贋作であることもある。
しかも家の中に物が増えるため、家族と折り合いをつけるのが難しいこともあるらしいです。
「『なじみの骨董商』が勧めてくるものは、『そういえばそんなやついたわ』ってレベルの同級生がコメダで話す儲かる話と同等なんじゃないか」
と思うほど、私は「この番組に登場する『なじみの骨董商』ってだいたい怪しい」と疑っています。
それでも「番組の後『なじみの骨董商』が依頼人に刺された」という話は聞いたことがありません。
体のいい博打

「骨董趣味は博打です。たくさんのはずれのなかにあたりを見つけた時の喜びがたまらない」
私は番組内でそう語っている人を見たこともあります。
骨董趣味に限らず、そもそも趣味・娯楽は失敗を楽しめるかどうかが鍵になってくるのかもしれません。
失敗さえも楽しめるくらい好きなものこそが、自分にとっての趣味・娯楽なのではないかと。
趣味や娯楽に費やした時間は自分や他人にとって有益なものを生み出すわけではありません。
だからこそ心置きなく失敗することが許されます。
そのためどんなものでも、趣味・娯楽を楽しんでいる時間は成功だけでなく失敗も楽しんでいる時間でもあるのではないか……と私は考えます。
失敗を恐れない勇気を手に入れるための娯楽

逆に言えば失敗を極端に恐れるものは自分にとっての趣味・娯楽ではなく、それに触れている時間やそこにかけるお金は「コミュニケーション」や「ステータス感」のためのものかもしれません。
ある物・コンテンツを消費すること・推すことで生まれるコミュニケーションやステータス感も、自分を構成する重要な要素です。
ですから私は所属意識やステータス感にお金や時間を使うことを必ずしも悪いとは決して言いません。
しかしステータス感やコミュニケーションばかりにお金や時間を使うのもおすすめはしません。
そういったものにばかりお金や時間を使うことこそが失敗に対する恐怖を生み出します。
だからこそ定期的に趣味・娯楽を楽しむことが重要になってくるのです。
まとめ
失敗さえも楽しくなるような趣味や娯楽を楽しむ時間は、失敗した自分を笑って許し、失敗を恐れない勇気を養います。