インターネットが発達し、誰もが情報にアクセスできる今は情報過多時代だ。
目まぐるしく変わる流行に追いつけ追い越せとするあまり、低質なコンテンツがあふれかえっている。
……と感じている人も多いのではないでしょうか?
私も同じように考えることもありつつ、最近は「現代の情報過多状態」について別の考え方をすることもあります。
「今の曲はイントロが非常に短い傾向にある」

最近のヒット曲はイントロが非常に短い傾向にあるらしいです。
この参考記事に書かれている曲それぞれのイントロの長さが嘘だとは全く思いません。
実際今、流行している曲のほとんどはそうした傾向があるのでしょう。
そしてその傾向はサブスクリプションなどの新しいサービス形態の誕生によって生まれたというのも本当のことで、そうした消費者の傾向に合わせるようにしてイントロ0秒の曲を制作している人・企業もきっとたくさんいます。
王道クラシック音楽のイントロ

あくまでも私の場合ですが、
「王道クラシック音楽でぱっと思いつくのはなんですか?」
と聞かれたら、
「モーツァルトの『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』」
と答えると思います。
他にもベートーヴェンの『交響曲 第5番 ハ短調「運命」』なども思いつくかもしれません。
どちらも導入部(イントロ)0秒の曲と言っても差し支えない曲です。
もちろん「王道クラシック」の中には他にもさまざまな曲があり、導入部がものすごく長いものもたくさんあります。
しかしそれでも多くの人にとって「パッと思いつく王道クラシック」は導入部分が0秒か、思いついたのが主題部分(サビ)であるだけで実はその前には導入部分があるのではないでしょうか。
それこそ「サビしか知らない」なんてことも珍しくありません。
キャッチーなものに弱い人

私は普段あまり音楽を聞きません。
だからこそ、クラシックだけでなく「最近話題のヒット曲」もキャッチーな部分しか知らないことがほとんどです。
本当のファンからしたら「浅い知識しかない人」と思われても仕方がありません。
逆に言えば、ほとんど音楽を聞く習慣がない人間にも、
「あ、これ(この部分)聞いたことある」
と言わせてこそ本当の流行現象でもあります。
稼ぐことだけを考えてキャッチーなコンテンツ制作に突っ走る行為には私も嫌悪感を催しますが、キャッチーなものに弱い人を刺激するのも芸術であり文化の発展には欠かせないことです。
実はいつの時代もイントロ0秒の曲が大量生産されてきたのではないか……という疑惑

所詮30年ちょっとしか生きていない私には想像で語ることしかできませんが、実はいつの時代もイントロ0秒の曲は大量生産されてきたのではないでしょうか?
それこそ芸術性を無視し、売ることを目的としてイントロ0秒の曲を作曲し、それが今も親しまれている……ということもあるのかもしれません。
確かに学術的に曲や作曲家自身について解説したものは数多く存在しますが、それも所詮は他人が書いたもの。
本人が当時何を考えていたかなど、どんなに資料を漁っても結局のところ想像することしかできないのです。
だとしたら、
「イントロ0秒の曲がヒットする」
「売ることを目的にイントロ0秒の曲を大量生産する」
のはいつの時代も同じことでしかないのかもしれません。
大量生産の後に

クラシック音楽の時代でも、そして今の情報化社会と言われる時代でも、イントロ0秒の曲は大量生産され世間に持て囃される一方で、そうではない曲もたくさん作曲されてきました。
生み出されたさまざまなイントロ秒数の膨大な数のコンテンツは、時間と共に淘汰されていきます。
そして生き残ったものだけが先の時代でも愛されるのです。
従ってあえて時代をさかのぼろうとすればするほど、平均イントロ時間は長くなり、そしてさらにさかのぼれば多くの人の頭の中に主題・サビだけが残るようになるだけのことなのかもしれません。
まとめ
鉄道オタクの夫と「王道クラシック音楽のイントロ」について話していた時、
「ドヴォルザークの『新世界より』もイントロ0秒の曲だな」
と言うので、
「SLっぽいかどうかは知らんけど、あの導入部分を『主題』と思って聞いてるのはお前だけだわ!」
とツッコミを入れてしまいました。
(この動画の20秒くらいのところが一般的に「主題」と言われている部分です)