
モデル・能世雄妃の自己紹介。私の人柄やどうしてこの仕事をしているのかなど。
もともとそこまで自信があるタイプでもなかった
作家とモデルとライター……派手な肩書きでいかにも自信がありそうな人間に見られることも多いですが、私はもともとそこまで自信があるタイプではありません。
子供の頃に語っていた将来の夢はモデルでした。クラス内での「将来の夢の発表会」でもそんなことを言っていたし、小学校の卒アルにも書いていたほどです。
でも成長し、進学を意識するにつれてこう考えるようになりました。
「モデルの仕事では食っていけない」
そして高校に進学してからは大学選びに困ってしまう。数学と物理が好きだったため迷わず理系を選んだものの、どの学部を選んだらいいのか分からない。模試の志望校はネームバリューで行けそうなところを選ぶばかりでした。
ただ将来何になりたいのかが分からなくなる一方で、高校在学中から小説を書き始め、私はその面白さにハマっていきます。
「文章を書いて生きていきたいな」
なんてことも考えることはありましたが、すぐに、
「それを仕事にすることは私にはできない」
とその考えを否定することを繰り返していました。
結局大学では執筆ともモデルとも関係のない経営学を学ぶことになりました。それはどうしてもやりたいことがないから仕方なく選んだ進路でもありました。
ミスコン出場を機に「私にもできる」と思えるようになった
大学在学中も執筆で生きていきたいと思いながらも、結局三重県の中小企業に就職しました。そして入社3ヶ月でその会社のことを憎むようになり、労働組合を巻き込んで経営陣と喧嘩をすることもありました。
それでも、
「こんな会社すぐに辞めてやる」
と怒りに燃えながらも、
「『石の上にも三年』と言うし、とりあえず3年は頑張ってみようかな」
という考えに縛られ、経営陣だけでなく私と同様、会社に文句を言っている他の社員たちからの冷たい目線に耐え続けました。
そんな中でミスユニバース三重大会の存在を知り、私は身近な人の軽い勧めに乗って挑戦することにします。
軽い気持ちでエントリーしたものの、書類審査に通過し、二次審査の面接も通過し、私は晴れてファイナリストになり、ステージに立つことになりました。
ファイナリストになるとさまざまな課題が出されるため、ビューティーキャンプ時以外にもやることが一気に増えます。全ての課題をこなすためには仕事の合間に時間を作らなければなりません。
仕事だけでなくファイナリストとしての活動に追われる日々は忙しかったですが、充実していました。
「もしかしたら私は本当はもっと『何か』ができるのかもしれない」
地方大会ごときで大袈裟だと思う人もいるかもしれません。でもそれまであらゆることに対して「自分には無理」と思い続けてきた私にとって、「何かができる」と思えることは非常に強い快感でした。
私の考える「美しい女性」
中国史オタクだったこともあり、歴史上の美女や女傑に対する憧れもありました。
男を魅了するためにはただ色があるだけでは足りない。
男を引きつける才がなければならない。
そんな美女へのイメージに、戦で戦う男たちの美しさが足される。義に篤く、誠実な態度を貫く男。
ミスコン出場にあたって私は運営から指示された通りにFacebookのアカウントを作りました。
私としてはこれからの課題をクリアするために指示通りアカウントを作っただけだったため、大会公式ページに私のプロフィールが公開されると同時に「きれいですね」などの容姿に対する称賛の言葉が大量に送られてきたのにはとても驚きました。
こうしたメッセージから男の醜い下心を感じて不快な思いをしたことももちろんあります。
しかしミスコンとは女性らしい美しさを競う大会なのだから、出場することでこうして容姿に注目されるのも当然と言えば当然です。
「ならば私はこうして容姿で注目されることを利用してやろう」
そこで私はそう考え、
「ただのきれいな人ではつまらない。ミスコンが終わっても私はただのきれいな女で終わらない。私は執筆ができる。ならば執筆もできるきれいな人に、私はなろう」
と決意しました。
なかなかうまくいかない経験もたくさんしてきた
ミスコンによって「私はできる」と思い、「執筆もできるきれいな人になる」と決意した私は、結局2年でその会社を互いに憎み合いながら辞めました。
ただ一方的に私が会社を憎んでいたわけではありません。新入社員の分際で互いに憎み合ったのだから、我ながら気骨は十分だったと今でも振り返ります。
こうして私は会社を辞め、作家・モデル・ライターの仕事を始めました。
しかし思うように私の仕事は伸びませんでした。
モデル事務所に所属していたものの、モデルの仕事がない。ライターの仕事は今思うと報酬が安すぎるものばかりで、どんなに頑張っても十分な稼ぎは得られない。
中でも一番惨めだったのは、それまで「自分は女性の外見だけでなく内面も尊重できる人間です。だから応援してる」と私に声援を送ってきていた人たちから作品を販売し始めると全く興味を持たれなかったことでした。
その人たちから自分の生み出したものに興味を持たれないどころではなく、「結局お金か」などと言われ、金の亡者扱いをされました。
それまで私の「作家としても活躍したいです」という発言に温かい言葉をかけられてきたからこそ、自称ファンたちからのこの反応はかなり堪えました。
「あんたらは一体私の何を応援してたんだ」
そう問いかけずにいられません。
さらに身近な友人たちからは「やってることがおかしい」「詩織ちゃんの作品や活動に意味も価値もない」などと言われ続けました。
「私にもできる」
そう思って始めた活動だったが、結局始めた当初は苦しみの連続だった。
それでも私は好きな仕事を続けていきたい
周囲からの冷たい反応に、私は散々苦しめられました。
それでも私は今に至るまで作家・モデル・ライターの仕事を続けています。
「どうしてそれだけ嫌な思いをしながらも続けてるの?」
人にそう尋ねられると、
「好きだから」
としか言いようがありません。
今までアルバイトも含めていろいろな仕事をしてきました。しかし「続けたい」と思えるような仕事はありませんでした。
作家・モデル・ライターの仕事ではそれがありません。もちろん嫌なことはありますが、それをきっかけに辞めたいと思ったことはありません。
私は自分自身の体や能力を使って、自分自身の思いを表現するのが、誰になんと言われようとも好きなようです。
だからこの仕事しているし、そう簡単に辞めることもない。
苦しいことも嫌なことも、そもそも自分に自信がなさすぎて悩んだこともたくさんありましたが、そう思える仕事に出会えたことは人生における幸せの1つでした。
そして、
「自分のやりたい仕事をする」
「自分にはそれを成し遂げられる」
と思いながら生きるのはやっぱり楽しい。
その喜びを表現するために、私は作家・モデル・ライターの仕事をしています。