「何のために仕事をしているのだろう」

これまでに学生時代のアルバイトも含めていろいろな仕事を経験する中で、私も頻繁にこうしたことを考えてきました。

しかも「人間30歳になったらもう少し丸くなるかな」と期待していましたが、実際に30歳になったら自身の態度が硬化してしまい、仕事の上で割り切れないことが逆に増えました。嫌々やっていることに対して「お金のため」だとか「将来のため」などと割り切れなくなってしまったのです。

今の私はとってつけたような適当な理由で働けなくなってしまいました。

そんな状況では改めて「何おために働くのか」と考えてしまいます。

仕事の目的の第一は「自分の幸せのため」

「自分を幸せにできない人間に他人を幸せにすることはできない」

とはよく言われているし、私も実際にそうなのだと思います。自分自身を幸せにできない人間がどんなに周囲の幸せを願ったところで周囲は幸せになりません。というのも不幸な人間は他人の幸せを祈ることに依存しているだけでしかないためです。

「私は不幸な人間だけど、周りの人が幸せなのを喜べる私はいい人」

不幸な人間はそんな気分に酔うものです。酔っ払った結果周囲を逆に不幸に引きずりこむからタチが悪い。

だから生きていく上で最優先するべきことは自分の幸せなのだとつくづく思います。

それは仕事でも言えることで、仕事の目的が他人の幸せである人間にろくなやつはいません。「お客様の笑顔のため」などと言いながら自己犠牲を繰り返しすり減っていく人を見たことがある人は多いのではないでしょうか?

仕事の第一の目的は自分自身の幸せを実現するためです。

他人の幸せを願う時の作法

自分を幸せにすることができて初めて人は他人の幸せを実現することができます。だから仕事の第二の目的には他人がきます。

人間一人の力には限界があるもので、例えどんなに頑張ったところで全世界全ての人類及び生物を幸せにすることはできません。私がこうして書かなくても、ほとんどの人がそう考えているはずです。

歴史には大きな功績を残した偉人は数多くいますが、彼らも別に全ての人を幸せにしたというわけではありません。むしろ大きな功績を残した人間ほど嫌われ、憎まれていたことも簡単に予想できます。

だからこの場合の「人のため」も別に全人類のことを指しているわけではなく、自分の身の回りのごく限られた人だけをイメージすればそれで十分です。

自分自身が幸せならば家族のために働くことも、仕事仲間のために働くことも、お客様のために働くことも決して依存にはならないでしょう。

それこそあくまでも私個人は本当の意味で割り切り、自分の幸せを維持できるのであれば、例えば「お客様は大っ嫌いだけど家族や友人の幸せのために仕事をする」というのも問題ないのではないかとさえ考えています。

さらに余裕がある人間が「社会のため」に働く

自分も幸せであり、自分が幸せにしたい人の幸せも実現できるということは心に余裕があるということでもあります。

将来の自分、そして大切にしたい人の幸せを願える余裕が生まれれば、自ずと社会に目がいくようになります。自分や大切にしたい人の幸せを実現・維持するために必要な社会の仕組みをもっとよく知るために。

だから自分と大切な人の幸せを実現できている人は、その先の社会を見据えて働るようになります。これから先の社会をもっとよくするために今、自分の仕事をするという意識が芽生えるのです。

「後に生まれてきた人間の幸せを実現するのは先に生まれた人間の義務だ」

以前私の夫はそんなことを言っていました(厳密に言うとこのセリフが出てきた場面はこのテーマとは少し異なる話をしていましたが)。

本当にそうです。

今生きている私たちにはこれから先の社会が少しでも豊かになるような工夫が求められています。だからこそ、「まずは自分、その次に他人、最後に社会」であり、その前提での「お金」です。

まとめ

「家族を養うため」
「生活費を稼ぐため」

など、お金のために働く人は少なくありません。仕事で我慢や苦労をしていない、それなりに楽しく働いているように見える人の口からもこうした答えが返ってくることも多いです。

少し前までは私も「お金のために働くなんて」と思っていました。

でも、少なくとも現代の日本で生きていくためにはお金が必要なのもまた事実。そんな中でお金のために働くことを安易に否定するのもどうなのか……という疑問もこれまで働いてきたからこそ浮かび上がってきます。

本当の幸せとお金の関係については常に自問自答するしかないのかもしれません。

未だに自問自答を続けている一人の人間として、この記事を執筆しました。

Pocket

おすすめ: