
「この手の本を読んだからといって『読書感想文を書く』というのも何かおかしいような気がする……」
と、私自身も書いていて思わなくもないですが、あえて「読書感想文」という体で『共産党宣言』についてこの記事では書いてみようと思います。
※私は恐らく共産主義者ではありません。『共産党宣言』はあくまでも読書として手に取ったもので、非常に興味深いものではありましたが共産主義には賛同できませんでした。
※……ていうか、段落の頭で賛同し段落の終わりで「?」となるのをこんなにも何度も繰り返しながら読んだ本は初めてです。
私自身の会社員時代の経験
たった2年だけではありますが、私は過去に会社員だった時期があります。大学を卒業して新卒採用で入社した会社です。
そもそも会社員になるということに前向きな気持ちではなかった私の就活には、今思うと反省すべきところもたくさんありました。妥協に妥協を重ねた上で中途半端な気持ちで入社した会社なのだから、2年しか続かなかった原因は私自身の姿勢にもありました。
しかし、私自身の問題を抜きにしても、あの会社にはさまざまな問題があったのも事実です。計画性のない会議・研修が繰り返されることに私はすっかり疲弊しただけでなく、業務の中には明確な指示系統がないため気が弱くて断れなさそうな人にばかり負担がかかるものもたくさんありました。
年間勤務日のスケジュールが明確に定められていないのもあの会社が抱えている問題の1つでした。ある日突然「本来この日は公休日だが出勤日にした。出勤日なのだから休日出勤手当は出さない」といったことを言われたことは一度や二度ではありません。
入社3ヶ月にしてこうした問題にすっかり腹を立てた私は労働組合とつながり、社内の労働環境改善に多少なりとも携わることになります。
「自分の権利ばかりを主張するモンスター社員」
私のことをそう批判する人もたくさんいました。私自身も自分のことをそう疑い、苦しみました。
でも、今振り返ってみるとあの時私が労働環境の改善を訴えたことにはやはり価値があったと思います。
働き方改革が進められ、新型コロナウィルスの感染拡大を受けて人々の働き方が変化しつつある今、労使関係は変化せざるを得ない状況に置かれています。
そんな中でこの『共産党宣言』は現代であらたな価値を持つようになった書物だと思います。
『共産党宣言』概要
『共産党宣言』は1848年にカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスによって書かれたもので、当時結成されていた国際秘密結社「共産主義者同盟」の綱領の役割を果たすものです。
私有財産を廃絶し、共有すること。
労働者(プロレタリア)と資本家(ブルジョア)の対立の歴史とこれから。
これまでの労働者と資本家の関係を「革命」によって変えていくことの妥当性と必要性。
といった共産主義の概要について書かれています。
労働による没個性化
♪毎日毎日僕らは鉄板の
Uta-Net
♪上で焼かれて嫌になっちゃうよ
1975年に大ヒットした『およげ!たいやきくん』のこのフレーズを知っている人は現在でも多いのではないでしょうか。子供向け番組で放送された歌ですが、毎日会社で働くサラリーマンを比喩的に描いたこの歌にはとても童謡とは思えない悲惨さが隠されています。
「こんなことして、私の人生どうなるんだろう」
「変わり映えのない一日の連続で人生が終わるのだろうか」
単調な労働を繰り返しているだけではどんどん自分の個性が見えなくなってしまう。
そして毎日一生懸命働いているつもりでも、ふとした瞬間に「本当の私って何者?」と自問自答してしまう。
特に嫌なことがあったわけではなくとも、こんなことを考えることは精神的にも負担になる。
1800年代にも似たようなことを感じ、危惧していた人がいました。産業革命が起こり、工場での労働が一般的になる中で、職人は労働者になり、労働者は作業の繰り返しを余儀なくされます。
「自分って何?」
工場で作業を繰り返していくうちに、労働者はそんな思いを抱くようになりました。
『共産党宣言』はそんな思いの結晶の1つです。
だからこそ、現代でも世界的な価値が認められているし、現代人にも納得できる点が多いのでしょう。
インフラの発達と労働者

私が会社員時代、労使関係で疑問に思ったことはスマホでいろいろ調べられました。調べた結果私は、
「就労規則に法的な根拠はない」
「だから就労規則が法律に違反している場合、就労規則に違反をしたところで裁判では勝てる可能性はかなり高い」
ということを知りました。
スマホで検索すれば誰でも労働基準法の内容を知ることができます。労働基準法を一般の人でもわかりやすく、事例を紹介しながら解説しているページもたくさんあります。
労働者は誰でも簡単に自分の身を守るための手段を見つけられる。
そうなってくると企業は今まで通りただ闇雲に「労働者はただ従うべし」と言うことができなくなる上に、下手なことを言えばコンプライアンスにも関わる問題に発展してしまう。
インフラが発達したことによって「企業が上、労働者は下」という関係を見直さなければならなくなりました。
移動手段が限られている産業革命以前の世界では、各地の労働者が結びつくことは不可能でしたが、産業革命で蒸気機関車が発明されたことによって各地の労働者が結束が実現しました。
『共産党宣言』を読んで、古今東西のインフラの発達と労使関係の変化の共通点をひしひしと感じました。
まとめ:私の根っこは「労働者(プロレタリア)」
私は現在個人事業主として仕事をしています。会社を辞めてこの仕事を始めるにあたって「経営者とはどうあるべきか」や「会社を経営するとは」といったことが書かれた本を読み漁りました。
そもそも私は大学では経営学を勉強しています。
会社を辞めた時には清々した気分にもなったものです。
それでも今、こうして個人事業主として仕事をしながらも実感しています。
「私は労働者(プロレタリア)だ」
『共産党宣言』で書かれている資本家(ブルジョア)と現代の経営者とは少しニュアンスが違うとは思います。その上でにはなってしまいますが、私は決して資本家でもなければ経営者でもない。
労働の中に喜びを見出し、労働の中で「自分らしさ」を見出す。
だから何人たりとも私から搾取することは許さない。
毎日毎日仕事をし、時には腹を立てることもあり、時には涙するほど喜びながら、私は自分が労働者であることを誇ります。
編集後記
今日は知り合いのピアニスト、山路裕子さんのピアノコンサートに行ってきた。
山路さんには失礼なくらい自分勝手にも、演奏会のプログラム内容を最近自分の身の回りで起こっていることに重ねてしまった。