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沖縄「ひめゆりの塔」で戦争の悲惨さを学ぶ

先日ミス・グランド・ジャパン2016時代の友達渡辺由梨佳ちゃんとGo Toトラベルを利用して沖縄旅行に出かけた。

その際沖縄南部に点在する戦争関連施設の1つである「ひめゆりの塔」を訪れた。

ミス・グランド・ジャパンの大会コンセプトは”Stop the war”だ。そのコンテストで共に闘った由梨佳ちゃんと一緒にひめゆりの塔に行ったことにはとても大きな意味があると思う。

この記事ではひめゆりの塔および沖縄戦の概要についてと、資料館について紹介する。

ひめゆりの塔および沖縄戦概要

大東亜戦争

1937年7月7日、中国北京郊外で起こった盧溝橋事件をきっかけに日中戦争が勃発。日本は東南アジア諸国を植民地化しようととはびこっていた欧米連合国を駆逐し、アジアの自立を促すため大東亜戦争を始める。

1941年12月8日に日本軍はアメリカ軍の軍事拠点であるハワイの真珠湾に攻撃(パールハーバー、真珠湾攻撃)をしかけたことをきっかけに戦争が激化する。

しかし日本軍は1942年6月5日のミッドウェー海戦を機に劣勢に立たされることとなった。

沖縄戦とひめゆり学徒隊

戦争が泥沼化する中でアメリカ・イギリス軍は日本本土侵攻拠点確保のために1945年3月26日から「アイスバーグ作戦」と称して沖縄攻撃を始める。

こうした中で沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の教師18人、生徒222人、総員240人が沖縄陸軍病院に看護要員として従軍することになる。

連合国に沖縄を取られた場合、沖縄は日本本土侵攻の重要拠点となることが明白だった。日本を守るためにも沖縄の日本軍は連合国による日本本土侵攻を一日でも遅らせるために持久戦に持ち込んだ。

長引く戦争の中で死傷者が続出する。ひめゆり学徒隊は前線から送られてくる傷ついた兵士たちの看護に携わった。連日の砲撃により彼女たち自身も常に危険にさらされている状況だった。

日本本土侵攻を食い止めるために連合国からの攻撃に応戦するものの、次第に日本軍の敗色は濃厚となっていく。戦局が絶望的と判断した日本軍は1945年6月18日にひめゆり学徒隊を含む学徒隊全体に解散命令を出した。

解散命令発令後、学徒隊の死者数は爆発的に増加する。ひめゆり学徒隊の死亡者は生徒123人、職員13人だったが、そのうちの117人は解散命令後に死亡している。

日本本土もたびたびアメリカ軍による空襲被害を受け、さらに広島・長崎には原爆が投下された。1945年8月14日、日本はついにポツダム宣言を受諾し、降伏することとなる。

ひめゆりの塔資料館

住所
〒901-0344 沖縄県糸満市字伊原671−1
開館時間
9:00〜17:30

ひめゆりの塔は戦後遺族たちが壕を発見し、遺骨やひめゆり学徒隊に関する資料を集め、1986年6月23日に戦争の悲惨さを後世に伝える目的で資料館が開館した。

館内は写真撮影禁止だ。

戦争や沖縄戦の背景を解説するパネルや、ひめゆり学徒隊として従軍した生徒たちの写真、遺品などが展示されている。

資料館の最後の展示室には、激しい戦闘にさらされた生徒たちの証言が読める。

まとめ

戦争の悲惨さを実感すると同時に、現代の平和に感謝し、私たちの子孫が少しでも豊かに生きられる世の中の実現に尽力したいと思った。

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