
沖縄旅行でひめゆりの塔や平和祈念公園に行ったことをきっかけに、戦争、そして平和について考えた。
いつの時代も「激動の時代」
私は歴史小説を書いている。こうして歴史を書いていると、「結局いつの時代もその時代に生きる人にとっては『激動の時代』なのだ」ということを思い知らされる。
戦争のない現代の視点から見れば、戦争は悲惨で残酷なものに見えるのもある意味当然だ。私だって戦争に巻き込まれたくはない。戦争はしない方がいいに決まっている。戦争をせずに生活できる今の時代に生まれてよかったとさえ思うこともあるかもしれない。
でも、もし私があの時代に生まれていたとしたら、もちろん戦争の悲惨さと隣り合わせの生活に苦しむことはあったとしても、それでもその時代に生まれ、生きるからこそ得られる幸せを享受していたとも思う。
結局どの時代に生まれたから幸せ・不幸せが決まるわけではなく、どの時代に生まれたとしてもどう生きるかがその人の人生を決める。
だから私は戦争の悲惨さを学び、平和を尊び戦争を回避しなければならないとは思いながらも、大東亜戦争の時代に生きた人たちを「不幸だった」と決めつける気にはなれない。
他人を勝手にかわいそうな被害者・犠牲者扱いするのは失礼
当時の日本には反省すべき点がたくさんあった。現代に生きる私たちはその反省を活かして平和な世界の実現に向けて努力しなければならない。
しかし私は当時の日本が間違っていたのはあくまでも作戦であり、外交戦略であって、時の世論ではないとも思っている。
世論というのは一定数の支持者がいるから成り立つものであり。もちろん自分の意思とは関係なしに世論に巻き込まれてしまう人も多いが、なんだかんだで世論には自身の積極的肯定の下で従うものだ。
戦争中も当時の人たちは世論を誰かから押しつけられたのではなく、自分たちの意思で世論を支持したのだと私は予想する。
平和の実現のために現代に生きる私たちが当時の世論を反省すること自体は間違っていない。けれども当時の世論を支持した人、そして世論の下に生きた人を「かわいそうな世論の犠牲者」扱いするのは傲りでしかない。
私は戦争の犠牲者たちを「時の世論の犠牲者」として扱うことには疑問を抱いている。
精神論依存は消耗戦にしかならない

大東亜戦争で間違っていたのは世論ではなく作戦及び外交上の戦略だ。
「例え玉砕しようとも、根性で敵を討つ」
そういった作戦が私は日本の敗戦を招いたのだと思う。日本が反省すべきところがあるとすればそこだ。
精神論はとても大事だ。精神論は生きる指針になり、人生を、国を豊かにしてくれる。
だからといって依存してはいけない。どんなに美しく立派な精神論を掲げていても、目的を達成するための段取りが明示されていなければ人は露頭に迷うだけだ。
目的達成までの道筋もなく、ただ精神論だけで進み続けようとする行為は消耗戦にしかならない。
だから私は大東亜戦争から日本が反省すべき点は世論の内容ではなく精神論に依存した作戦だったと主張する。
戦後日本は高度経済成長を迎えた。最近ではブラック企業なども問題になり、過労死は”karoshi”という単語として海外にも伝わってしまった。
私自身周囲から「頑張っていればいつか努力は実る」「努力努力努力」などと周囲から闇雲に発破をかけられたことは何度もある。
「あの戦争から何も反省してないじゃないか」
そう思わずにいられない。
英霊に対する感謝と私たちに与えられた義務
私は戦没者たちを不幸な被害者だとは思わない。
彼らは日本を、そして私たちを守るために戦ってくれた。もちろん死に行く中で彼らにも葛藤はあったのだろう。その葛藤は胸を裂くほど苦しいものだったに違いないと私は想像してしまう。
ただ、それでも私は彼らは被害者ではないと思っている。
私は今、とても恵まれていると思う。住む家があり、食事に困ることもなく、大好きな家族と暮らし、自分のやりたい仕事をしている。
英霊たちが守ろう、実現しようと戦った目的は、私たちの今の幸せのためではないか。
私がこの幸せを得られたのは、彼らの存在があったからではないか。
だから私は英霊たちを前にして彼らを犠牲者扱いすることはない。
彼らの前に立ち、思うことは、
「あなた方のおかげで今の幸せな日本があります。ありがとうございます。私たちもあなた方にならい、後世の子孫が少しでも平和に、豊かに、幸せに生きられるよう今努めて参ります」
ということだ。
まとめ
私も戦争はしたくない。したくないから私はあの時代の反省点を自分なりに考え、自分の活動に活かしていこうと思う。