見た目が強そうなのと、ビューティーコンテストに挑戦する趣味があるのと、「作家・モデル・ライター」という肩書きの並びの影響とで、私のことを「自立した女性」という見方をする人も少なくない。

こうして見られるように私自身が意図してさまざまな経験を積み重ね、それを発信してきた側面もあるものの、時々「自立した女性」という見方をされることに疑問を覚えることはある。

「夢を叶えたい」と言う背景で、それなりの貧しさは舐めてきた

ミスコンなどのビューティーコンテストに出場し、作家・モデル・ライターの仕事をしていると、どうしてもSNSの投稿が華やかになる。きらびやかなドレス、おいしい食事、歯の浮くような感謝の言葉がつづられた文章……。

「何かに挑戦しようとしている人はきらきらして見える」

私の投稿はまさにそういった類のものだった。

そういったきらきらした投稿をする時の私は、必ずしも笑っていたというわけではない。

ビューティーコンテスト出場にはそれなりのお金がかかる。参加費そのものは0円であっても、ドレスや靴、会場までの交通費を踏まえればどんなに節約しても10万円に上ってしまう。

モデルの仕事だって私レベルであれば案件1件あたりの報酬はそこまで高くない。作家の仕事に関しては「文芸で日本社会を変える」という志があるから続けていられるだけで、お金になるものではない。そんな中で自称ファンたちからは作品を販売することを「金が欲しいのか」と罵られる。

ライターの仕事は現在でも1日に6時間はデスクに向かっている。諸々の作業を合わせれば10時間くらい仕事をしていることも珍しくない。仕事は嫌いではないし、むしろ好きだが、「遊んで暮らしている」というわけでは決してない。

減っていくばかりの貯金を見て、私は恐れ慄いた。悪い想像ばかりが広がっていく。

本当はそんな時代が私にもあった。

サポートしてくれる人がいたから今の私がある

もちろん嘘は投稿していないものの、自分の実生活の中で派手に見えるところだけを抽出した私のSNSは、「豊か(笑)」できらきらして見えるかもしれないが所詮はフィクション(作り物)でしかなかった。

SNSにそういう投稿をすること自体は何も間違っていないと思う。そもそもSNSなんてそんなもの。実際の私の生活はそこまで派手なものではない。ただ地味な日常が淡々と続いているだけだ。

今でこそ、それなりの金額が稼げるようにはなったものの、上記の貧しかった時には両親からお金を借りたこともあった。結婚してからは夫がサポートしてくれることもあった。

「詩織の夢は実現するから」

お金がないことを嘆く私に、夫はそう言ってくれた。

そうやっていくうちに仕事がうまく回るようになった。モデルの仕事はまだこれからだが、ライターの仕事で十分生活していけるくらいには稼げるようになった。作品の読者も少しずつ増えた。

単なる精神的なサポートだけでなく、それこそ経済的なサポートがたくさんあったから、それなりの金額が稼げるようになった。

夫や家族のサポートがなければこれは実現しなかった。

私は巡り合わせがよかった。運が良かった。もちろん自分でも努力はしたと思う。でも、それ以上に周りの環境に恵まれた。

そうなってくると私は「夢を叶える方法を教えます」などと安易に人に喧伝できなくなってくる。努力のしかたを教えることはできても、他人の巡り合わせをコントロールする力は私にはない。もしそんな力があったら私は教祖にでもなろう。

だから私には「女性の自立」を語ることができない。自分一人の力で十分な金額を稼げるようになったわけではないからだ。

女性が自立する社会の実現には非常に大きな価値があると私も思う。しかし本当に一人の女性が自立するためには、周りの環境も大事なのだ。環境が整っていなければ女性男性かかわらず自立することは難しい。

努力を実らせるために努力することはもちろん大事なことなのだが、努力が実るためには巡り合わせも大事になってくる。それを私は痛いほど知っている。

人からのサポート頼みでの「自立」はあり得るのか?

「自立した女性」として扱われる度に私はそう自問自答してしまう。

ただ、私には他人の巡り合わせを操作することはできない。でも、私は他人にとっての巡り合わせになれるかもしれない。大きな力はないかもしれないが、せめて相手にとって何かの足しになれる人ではありたいと今は思っている。

まとめ

今月は結婚記念日があった。記念日に際して夫とのこれまでのことやこれからのことについていろいろ考えた。

まだまだ私にも力不足なところがあり、できていないことも多い。30才になった今でも日常の細々したところでそれを痛感する瞬間がある。

結婚記念日に際して日々考えている「自立とは」についてここにつづる。

編集後記

昨日までの3日間、忘年会・女子会が続いた。

複数人で集まり飲食をすることが憚られるご時世の中、こうした機会に恵まれたことが本当にありがたかった。

仕事柄オンライン会議には慣れていたものの、やはりリアルな場での人との交流は得られるものの質や量が全く違う。

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