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コラム:穴子くんのような友達

我ながら友達を作るのは、苦手な方だと思う。

とりあえず人の輪に入ることはできる。人と話すこともできる。自分から話しかけていくのも得意だ。

人を笑わせ、その場を盛り上げることもできる。

でも、友達を作るのは苦手だった。

仲良くはするけど友達にはならない

いろいろと人に気を使う性質ではあるものの、人と話すことはあまり苦にならない。初対面の人ともそれなりに話をし、盛り上がるし、自分から人に会いに行こうと行動もする。特にここ数年はパーティーや異業種交流会など、不特定多数の人と交流する場所に出かける機会が何度もあった。

不特定多数の人と交流するのはモデルの仕事の現場でも言えること。出番が来るまで控室で他のモデルやスタッフと会話に花を咲かせることは多い。話の内容は仕事のことだけでなく、最近あったことや生々しい男女の話までさまざまだ。

そして帰り道が同じ方向であれば一緒に帰る。歩いている時や電車の中ではまた雑談を楽しむ。

「能世さんって面白い人ですね」
「とっても魅力的です」

会話をしている中で、そう褒めてもらえることもあった。もちろん単なるお世辞としてこの言葉を言っている人もいただろうが、「あ、この人本気で褒めてくれている」と感じられる場合もかなりの回数あった。

そのレベルで私は赤の他人と仲良くすることはできる。

でも、それ以上の関係にはなかなか発展しない。

現場で出会ったモデルたちとInstagramでフォローし合うことは多い。彼女たちのタイムラインを見ると、モデル仲間同士で食事をしたりカフェ巡りをしたりしている様子が伺える。

一方私の投稿といえば、一人で仕事をしている様子や、食べたもの、そして時々気まぐれで自撮り。

とりあえず仲良くはするもののそれ以上の関係にはなかなか発展しない私は、モデル仲間だけでなく友人との交流に関する投稿をアップする機会がない。

「私なんか」という思考が壁を作る

もちろん中には私に敵意を向けてくる人もいる。かといって私のことを好意的に受け止めてくれる人の存在も私は確かに感じていた。

上記の通り、私との軽い会話を通して私に興味を持ってくれる人も確かにいたのだ。

それなのに私はこれまで、自分から積極的にその人たちと交流をしようとしてこなかった。とりあえずその場では人との交流を楽しみながらも、「次」につなげることをしてこなかった。

もちろん向こうから「また会おう」と言ってもらえたら嬉しいし気楽だ。しかしそういうのを待ってばかりいるのも問題ではある。人とのつながりは自分から積極的に作っていくもの。

だから自分から「また会いたいです」と声をかけていかなければ、よっぽど人とのつながりなんて生まれない。

でも、私はそれをしなかった。自分から「また会いたいです。今度お茶でもいかがですか?」と声をかけることができなかった。

決して、

「向こうが私を誘ってくるべきだ」

と思っていたわけではない。

ましてや、

「私と彼女らとはレベルが違う」

などと考えていたわけでもない。

とりあえずその場を盛り上げ、楽しく会話しながらも「次」につなげられなかったのは、私がいつも、

「私なんか、彼女たちと友達にはなれない」

と思っていたからだ。

どんなにその場で相手が私に好意を向けてくれていたとしても、私はそれを受け取ることができなかった。好意そのものを喜びながらも「私みたいなダメな人間はあなたとは友達にはなれない」と思い続けてきた。

だから私はとりあえず仲良くはするものの、友達にはなれないという状態で居続けてきた。

こういう「私なんか」は必ずしも悪いわけではないものの、自分にとって悪いものも引き寄せてしまう。

私の弱みにつけこもうとする人。
私を利用しようとする人。

そういう人を引き寄せるだけではない。

「私なんか」と言っている人間には独特な雰囲気がある。決して禍々しいものではないものの、その雰囲気を敬遠して近寄ろうとしない人は多い。

穴子くんのような友達の重要さ

20代後半のあらゆる苦しみは、結局こうした「私なんか」が引き寄せたものなのだと、30歳になった今は思う。

アニメ『サザエさん』に登場するマスオさんの友達、穴子くん。私は穴子くんのような存在はとても重要なのだと思っている。

仕事帰りに一緒に食事をし、家族や仕事の愚痴を漏らし、季節の話をし、近所の噂話をし……それができる友人が身近にいるというのはどんなに心強いだろうか。

そしてそういう一見無駄話のような会話の中に、仕事や生活で活かせる知恵や情報が含まれている。

会社での飲み会に対する否定的な意見が目立つようになり、さらに新型コロナウィルスの影響で人と食事をする機会が減ったが、それでも私は一見何も生み出さない無駄話ができる穴子くんのような友人は重要なのだと思う。

長年「私なんか」と思い、人との間に壁を作ってきた私だが、それも少しずつ変化しているという実感がある。少なくとも自分が「私なんか」と考えているということを自覚できた。

今いる穴子くんとの関係も大事にしつつ、これからも新たな穴子くんを探していく。

まとめ

どんなにインターネットで情報が得られるようになったとしても、新しい発見につながるような情報は人が運んでくるものなのだと思う。そうした中で「私なんか」と言いながら人との交流を避けてしまうのは自分の首を絞める気さえする。

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