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コラム:1954年の『ゴジラ』とAI

最近ではAIの開発も話題になっている。

「AIに仕事を奪われる」

そんな不安を抱いている人も少なくない。

こうした中ではますます「AIと人間の違い」を考えることが重要になってくる。

1954年の『ゴジラ』を観て

一見タイトルと全く関係のない話を今からする。

昨日、数あるゴジラシリーズの中でも第1作目となる1954年放映の『ゴジラ』の映画を観た。

別に私は映画好きというわけでもなければ、ゴジラファンというわけでもない。確かに1954年の『ゴジラ』を観るのは2回目ということになるが、かといって映画マニアというわけでもなく、それこそ私が1年に観る本数は5本程度かもしれない。

昨日はたまたま時間があったというのもあり、子供の頃に父と一緒に観た映画をもう一度観ようと思っただけだ。

しかし2回も観るということはそれなりに好きな映画だからでもある。

実は1954年の『ゴジラ』は単なる子供向けの特撮映画ではなく、「科学と倫理」の問題を問う作品だ。日本人の原爆に対する憎しみをかなり生々しく感じられる。

「せっかく広島から逃げてきたのに(ゴジラ被害に遭うなんて)」

物語の中でそうつぶやく女性の姿が印象的だった。

映画の冒頭では「賛助 海上保安庁」と表示されていた。

ゴジラの襲来に対して戦う部隊は「海上保安隊」と「防衛隊」と表現されていた。

機関銃の射撃や戦車の出動、戦闘機によるミサイル発射のシーンがあっても、一度も「自衛隊」という言葉が出てこない。

私はそこに疑問を持った。

「なんで自衛隊が出てこないの?」

調べてみると、この『ゴジラ』の放映は1954年11月。日本での自衛隊の発足は1954年7月。さらに日本では1950年に事実上軍隊である警察予備隊というのが組織されている。

『ゴジラ』は日本国内に原爆や水爆などの大量殺人兵器に対するトラウマが蔓延している世の中で、戦後憲法9条で戦争放棄をしたもののその解釈に疑問が生まれ始めた頃の作品だった。

……ということを映画観賞後にGoogleで調べて分かった。

「うんちくをひけらかす行為は恥ずかしい」

「うんちくをひけらかす行為は頭のいい人がやることではない」

とはよく言われている。私もそう思う。

別にうんちくが大量にあるからといって頭がいいわけではない。Googleで検索すれば分かるようなうんちくをただ蓄えているだけの人間は、それこそAIにあっという間にとって変わられる。

上記の私の『ゴジラ』の話の中であれば、「調べてみると、」以降に登場する「1954年自衛隊発足」などの情報が「うんちく」に当てはまる。ただそういう情報を垂れ流しているだけならば、それは『ゴジラ』の感想でもなんでもなくなる。

AIには語れない「感想」

私は別にうんちくを披露したくて『ゴジラ』の話をしたわけではない。

「改めて『ゴジラ』を観たことによって戦後の時代の流れを感じ、日本人の原爆・水爆への恨みを感じられたことが面白かった」という話がしたかっただけだ。ただ「『ゴジラ』面白かった」と言うだけなら私らしい独自の感想にはならない。物語の中での自衛隊の存在に対する疑問を通して感動を表現してこそ私らしい独自の感想になる。

「映画を観て疑問を抱き、そこから膨らませ、感動する」という流れは少なくともしばらくの間はAIにも再現できないのではないだろうか。

そしてこういう膨らませ方をどれくらいできるかどうかがAIではなかなか実現できない「人間らしさ」ではないだろうか。

ただうんちくに反応するだけならAIでもできる。

それを伝えるための『ゴジラ』の話だ。

まとめ

ちなみに鉄道オタクである私の夫は、『ゴジラ』の中でゴジラに破壊される列車を見て興奮していた。私は鉄道オタクではないためよく分からないのだが、夫のこういう反応にもとても魅力を感じる。

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