
「プロの作家・小説家になりたい」
そう志している人は多い。作家や小説家だけでなく、漫画家や画家、音楽家といった芸術系の夢でも「プロになりたい」というセリフはよく囁かれる。
この「プロ」とはどういう人なのだろうか?
おそらくこの問いには十人十色の回答が返ってくる。実は「プロ」の定義など、あってないようなものなのだ。
この記事では現在電子書籍出版で「作家」の肩書きを名乗っている私が、「プロの作家・小説家(あるいはその他の芸術家)」について考えていることを紹介する。
尊敬すべき作品があるかどうか

「私が」尊敬すべき作品の有無がその人をプロかどうかを分けるのだと考えている。「私が」尊敬すべき作品がある人は媒体や値段、ライフスタイルにかかわらず全てプロだと思っているのだ。一方でどんなに芸術家としての高い志を掲げていたとしても「私が」尊敬すべき作品がない人はプロではない。
例えばプロフィールには「作家・小説家」などの肩書きが並び、ネット上でどんなに「作家とはこういう人だ」「作家とはかくあるべき」「作家として自分が成し遂げたいこと」「たくさんの人を楽しませたい・励ましたい」などと熱く語っていたとしても作品が存在していなければ「私は」その人をプロとは見なさない。
ネットの闇というべきなのか、「肩書きはあるけど作品はない」という作家は実はいる。
逆に小説投稿サイトや自身のブログ、SNSなどに自分の作品を公開している人であっても、「私が」「この人の作品はすばらしい!」と尊敬できる人のことはプロとみなしている。紙の書籍だろうと電子書籍であろうと有料だろうと無料だろうと関係ない。
「私が」尊敬できる作品がある人は、「私にとって」プロなのだ。
ちなみに作品に興味が持てない人に、私は積極的にかかわっていくこともない。わざわざ「あなたはプロではない」と言いにいくようなこともなければ、そもそもSNSでのフォローさえもしない。
だからこうして書いておきながらも、正直なところ何かしら作品を公開している人に対して「この人はプロじゃない」と思ったこともない。
別にそれ一本でなくてもいい

「作家を名乗るのであればそれ一本でやれ」
作家の他にもモデルの仕事もしている私に対して、こう言ってくる人もいる。他の作家に対して同じようなことを言って攻撃している人を見たこともある。
正直なぜそこにこだわるのか私にはよく分からない。優れた作家かどうかを判断するのであれば作品だけを見ればいいのであって、なぜ私生活のことまで他人に口出しされなければならないのか。
「作家業だけで食っている人はほとんどいない」
なんてことは広く言われてる。実際私も作家として活動しているとそれを肌で感じる。
日本に住んでいるのだから、作家と言えども生活するのにある程度のお金は必要になってくる。それなのになぜ、別に私の生活費を負担しているわけでもない赤の他人が私の収入源に口出しをしようとするのか。
私は作家の仕事が好きなのと同じくらい、モデルの仕事が好きだ。他人の趣味に口を挟むものではない。「一本でやれ」などと言う割に「作家たるものいろんな経験をした方がいい」などとも言うから意味が分からない。
兼業やら専業やら、そんな枠に囚われる必要はないと私は思う。特にコロナ禍で人々の働き方が変わっている中では、芸術家に限らずあらゆる職業にそれが言える。
媒体はなんでもいい

「電子書籍出版ではプロとは言えない」
そもそも私がブログや小説投稿サイトを利用して作品を発表している人であってもプロ扱いしてしまう人間なので、これもよく理解できずにいる。
これまでの歴史の中では文章(情報)をたくさんの人に届ける媒体が紙しかなかったから紙が使われていただけのこと。文明が発達したことによって他の媒体が生まれたのであれば、それを使ったところで何もおかしなことはない。
ラジオがテレビになり、テレビがインターネットになったのと同じこと。
媒体が変化したのは音楽の分野でも言える。昔はレコードだったのがCDになり、今ではデータ配信になっている。
「レコードを出してないのに音楽家を語るな」
とは誰も言わない。
どの媒体を使っているかでプロかどうかを判断するのは無意味だ。
本当に大切なのは媒体ではなく、やはり「どんな作品を書いているか」ではないだろうか。
かといって私は勝手に他人をプロ認定したりはしない

ここまであくまでも私個人の「プロとは」ということについて書かせてもらった。
そう、ここまで書いたのはあくまでも私個人の意見であり、書いている私自身も自分の考えが絶対的に正しいものと思っているわけではない。ここまで読んで私に賛同してくれた人もいるかもしれないが、反感を覚えた人もいるはずだ。
私は「私が」尊敬すべき作品の有無で、その人がプロかどうかを判断している。
自分がとても自分勝手な基準でプロを語っている自覚はあるので、私は安易に他人にプロ認定を下したりはしない。そしてそれは単に他人に「『あなたはプロではない』とは言わない」という意味ではない。
私は例えどんなに「私が」相手の作品を尊敬していたとしても、軽々しく「あなたはプロですね」などとは絶対に言わない。言うとしても相手を見た上で言う。もちろん言わないこともある。
「尊敬できる作品の有無」というのはあくまでも私個人の考え方だ。冒頭でも言ったように「プロ」には人それぞれの考え方があり、これといった正解があるようでない。
だから私が「あなたはプロです」と言うことは自分の意見の押しつけにしかならない恐れもある。相手には相手の「プロ」という考え方があり、ポリシーがある。相手に「プロ」と呼びかけるのは必ずしも褒め言葉や賞賛の言葉にはならないのだ。
「尊敬して褒めてるんだから問題ないだろう」
では通用しない。相手をプロと思い、尊敬するからこそ相手の「プロ」に対するポリシーを尊重する。
まとめ
結局のところ、本気で「いい作品を世に出していきたい」と考えている人にとってはプロだとかアマだとかはどうでもいいのだと思う。
「あなたはプロじゃない」
そういう議論を吹っかけてくる人間は所詮三流。