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ヴィクトル・ユゴー『死刑囚最後の日』読書感想文

小説や映画、ミュージカルとして有名な『レ・ミゼラブル』の作者、ヴィクトル・ユゴーの作品である『死刑囚最後の日』の感想文。

死刑囚の思考を生々しく体験できる作品

一人の死刑囚の処刑される直前までの思いをつづった本作品は、読んでいるとこれから処刑される主人公の体験を生々しくなぞることができる。

だからこそ、主人公の死刑囚を一人の罪人としてというよりも、一人の人間として見ざるをえなくなる。

「私は絶対に犯罪に手を染めない」

日頃からそう強く思っている人でも、本書を読むとその自信が揺らいでしまうのではないだろうか。それくらい生々しい。

自分のことを極悪人だとは思っていないものの、過去には私もそれなりに人を傷つけてきたと思う。それこそ意図的に傷つけたこともあったかもしれない。

これまでの人生で、私は常に正しい選択をしてきたというわけではない。そういう罪の意識らしきものは、一応私の中にある。

だからこの作品を読み、処刑に向かっていく主人公に感情移入すると、

「私も許されたい」

という気持ちが強く浮かんだ。

SNSの犯人叩き

「それなりに人を傷つけてきた」と言う私を断罪しようと思う人もそうそういないと思う。

誰だって、思い返せばそれなりの過ちがあったはずだ。いくら過去に過ちがあったからといってただ通りすがりに見つけたこの記事の筆者を断罪するのは、自分のことを棚にあげて調子に乗っているだけではないだろうか。

相手から恨まれるのであれば私も納得はする。でも、赤の他人に断罪される筋合いはない。

同じことはあらゆる犯罪にもいえるのではないだろうか……とも思う。

何か犯罪が起こると、SNS上では犯人探しが始まり、犯人を断罪する流れが生まれる。

もちろん自分はその事件に巻き込まれたくはなかったし、もし自分が被害者ならば犯人を殺してもやまないほど憎んでいたかもしれない。

でも、私が被害者というわけではない。あくまでも私はその事件についてニュースで知っただけの人間。所詮は野次馬でしかない。

事件に対していろいろなことを考えるのは自由である上に価値あることでもある。かといって野次馬の分際で他人を断罪するものではない。

分を弁える。自分が野次馬でしかないことを理解する。

犯罪のニュースを見た時にはそういう姿勢を大切にすべきだ。

人を許すことの大切さ

自分が傷つけられたら怒ればいい。どうしても復讐したいのであればそれはそれでありなのだと私は思う。

しかし被害者でもなければ当事者ですらない人間が、1つの犯罪について口出ししすぎるのは問題だ。一度過ちを犯した人間を社会的に抹殺するSNSの風潮を危険視している人も多い。

過ちが許されない社会では、誰もが息苦しさを感じてしまう。極度に失敗を恐ると同時に互いを監視し合う社会になってしまう。

誰にでも過ちを犯す可能性はあるのだから、せめて自分が関係のない事件については「自分は単なる野次馬である」という自覚を持つように意識したい。

そんなことを『死刑囚最後の日』を読んで思った。

まとめ

作者のヴィクトル・ユゴーは死刑制度の撤廃に尽力していたらしい。『死刑囚最後の日』は死刑制度の是非について考えさせてくれると同時に、人を許すことの大切さを教えてくれる。

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